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東京高等裁判所 昭和50年(う)1199号 判決

本籍所在地

東京都世田谷区成城二丁目一九番一五号

政岡商事株式会社

(右代表者清算人 渡辺清)

本籍

東京都文京区千駄木一丁目五〇番地

住居

同都同区千駄木一丁目一一番一〇号

会社役員

政岡彌三郎

明治三一年七月一〇日生

右両名に対する各法人税法違反被告事件につき、昭和五〇年三月二六日(被告人政岡商事株式会社)および同年四月二八日(被告人政岡彌三郎)東京地方裁判所が言渡した各有罪判決に対し、各被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官河野博出席のうえ審理をして、つぎのとおり判決する。

主文

被告人政岡商事株式会社の本件控訴を棄却する。

被告人政岡彌三郎に関する原判決を破棄する。

被告人政岡彌三郎を懲役八月に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中、その二分の一を被告人政岡彌三郎の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、各被告人の弁護人西村真人、同岸厳、同糸賀昭、同北村一夫共同作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し、当裁判所は、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果に基づき、つぎのとおり判断する(控訴趣意書は各被告人の関係で別個に提出されているが、その内容は同一であるから、以下において「控訴趣意」と記したときは、すべて被告人両名の関係での控訴趣意をさす。また、原判決は各被告人の関係で別個になされているが、その内容は同一であるから、以下において単に「原判決」「原判示」等というときは両判決をさす。)

一  控訴趣意第一点について

所論は、要するに、原判決は、原判示別紙各修正損益計算書のとおり貸金利子収入、割引利子収入、協力預金謝礼金、預金利息等の勘定科目につき、公表金額に加算修正を加えたうえ、各逋脱年度につき、原判示のように実際所得金額、正規の法人税額を認定しているが、右加算修正された所得は、いずれも被告人政岡商事株式会社(以下被告人会社という。)に帰属されるものではなく、被告人政岡彌三郎(以下被告人政岡、あるいは単に政岡という。)個人に帰属するのであるから、被告人会社の所得として計上することは許されない(第一点の一、二)、また、仮に被告人会社に帰属するとしても、各勘定科目の数額は、原判示のような数額とはならない(第一点三)のであり、したがつて、その結果、各逋脱年度の実際所得金額、正規の法人税額、逋脱税額が異つてくるのであつて、原判決には以上の点において事実の誤認があり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よつて検討するに、原判決が挙示する各証拠を総合のうえ原判示各所得がいずれも被告人会社に帰属するものであると認定したことは、当裁判所においてもこれを肯認することができるのである。

この点について、原判決が協力預金謝礼金収入及び預金利息の帰属の関係で説示しているところは、おおむね正当であるが、以下において、所論に即し、若干敷衍することにする。

(1)  原判決挙示の各証拠、ことに、被告人会社の答記簿謄本、政岡武作成名義の昭和三五年四月一五日付貸金業届出書写、被告人政岡作成名義の昭和三一年一月二七日付貸金業届出書写、被告人政岡作成名義の昭和三五年一月一九日付念書写、鈴木東海の別件公判における証人尋問調書謄本、被告人政岡の検察官に対する昭和四一年一月三一日付供述調書謄本、を総合すると、(イ)被告人政岡は、昭和三一年一月二七日付で個人としての貸金業の届出をして貸金業を営んできたこと、(ロ)これとは別に、昭和三五年一月一九日、被告人政岡の二男武が代表取締役になり、貸金業等金融業を目的とする被告人会社が設立されたが、その資本金のすべておよびその後の事業資金のほとんどは、贈与か貸付かその法律構成は明らかにならないにせよ、被告人政岡が提供してきたものであること、(ハ)被告人会社発足後間もない昭和三五年六月一五日、二男武が急逝したため、被告人政岡が代表取締役となつたが、従業員は被告人政岡の子供である敏夫、均のほか、一、二名の者がいるだけであり、これらの者は重要な役割を分担しておらず、被告人政岡が名実ともに被告人会社の事業全般を統轄主宰してきたこと、(ニ)また、被告人政岡は昭和三八年になつてからではあるが、被告人会社発足の日である昭和三五年一月一九日をもつてそれ以前個人として有していた貸金債権や不動産を被告人会社に引継いだ旨の念書を作成するなどして、貸金業の主力を個人から会社に移行させたことを承認したこと、が認められる。被告人の捜査段階および原審公判廷における供述中、右認定に反する部分は、その余の証拠に照し、とうてい措信できない。所論は、前記念書および被告人政岡の検察官に対する供述調査書(謄本)は、信用性がない旨主張する。なるほど、右念書の記載内容には不備な点があり、また、作成経過については、日付を遡らせた等の事情が窺われないではないが、鈴木東海の別件公判における証人尋問調書(謄本)等の証拠に照すと、被告人会社発足により営業の主力を個人から会社に移行させ、そのことを被告人政岡において後日承諾した、という趣旨において、その信用性を優に肯認できるし、右検察官調書については、記録を検討してもその信用性を疑わしめるような事情はまつたく見出しえない。

右に認定したような被告人政岡と被告人会社との関係、会社内における被告人政岡の地位、営業の引継ぎの状況等からすると、被告人政岡が被告人会社の代表取締役に就任して以降、会社の営業とは別個に、個人の立場であえて引継ぎ同種営業を継続しなければならない特段の合理的理由があつたとは認められないから、被告人政岡の活動は、それが政岡個人の営業活動とみるべき特段の事情が認められない限り、被告人会社の営業活動としてなされたものであると認めるのが相当である。

(2)  そこで右のような見地から、被告人会社または被告人政岡個人の営業活動の状況についてみることとする。この点については、被告人政岡は、個人としての営業活動の資金は、会社の資金とは区別して預金口座を設けており、ことに、定期預金はもつぱら被告人政岡個人の資金である旨供述する。しかしながら、大蔵事務官遠藤昭三作成の昭和四五年二月一九日付送金関係調査書、同人作成の昭和四四年一〇月二〇日付「簿外預金調査合計表」、同人作成の前同日付「簿外銀行預金受取利息調査合計表」、同人作成の同年同月五日付「政岡彌三郎が個人預金と供述したものの調査書」、同人作成の同月四日付「簿外定期預金の資金源および解約金額のてん末調査書」や大蔵事務官の被告人政岡に対する昭和四四年四月一九日付、八月三〇日付、一〇月三〇日付各質問てん末書、原審第三一回公判における被告人政岡の供述を総合すれば、被告人政岡がもつぱら個人の預金である旨主張する預金口座から、被告人会社の銀行からの借入金の返済がなされたり、あるいは被告人会社名義の口座に振りかえ入金されたり、被告人政岡が個人の所得である旨最も強く主張する協力預金謝礼金の一部ですら被告人会社の簿外の仮名預金口座に入金されたりもしており、取引の外形あるいは取引の資金等について明確に区別されるものは見出しえず、各種多数の預金は一個の資金源として金融事業の用に供されてきたものであることが明らかである。そして関係証拠によると、被告人会社は、昭和三五ないし三七事業年度の所得につき、昭和三八年中に税務当局の調査を受けたが、このうち三七事業年度分に関し、昭和四一年二月に被告人両名が法人税法違反により公訴の提起を受けたこと、その際、大部分の所得が被告人政岡個人に帰属するのではなく、被告人会社に帰属するものとして修正計上されていたことが認められるのであり、もし、被告人政岡において、原判示各所得が被告人会社に帰属するのではなく、被告人政岡個人に帰属するものと認識していたならば、同じ紛争を再び繰返すことを避けるため、個人の所得であることが客観的に明確になるような措置を講じておくことがむしろ当然であるところ、前回の税務当局の調査以後も、前記認定のとおり資金の出入等も混然としており、何ら明確な処理がなされていないのであつて、このことからも、被告人政岡の活動は、被告人会社代表取締役としての活動であり、原判示所得がいずれも被告人会社に帰属し、被告人政岡も右所得が個人に帰属するとは認識していなかつたことを推知しうるのである。

なお、所論は、前掲大蔵事務官の被告人政岡に対する昭和四四年一〇月二八日付質問てん末書は、右のような事実認定には供しえないとし、同てん末書中の、普通預金についての「政岡商事としての貸付金、受取利息の受入れ、割引手形の取立口座、導入預金謝礼金の受入れ、貸付けのための払出し、割引のための払出し、導入預金設定のための払出し等のために利用していた」との供述部分につき、「政岡商事としての」という文言は、すぐ下の「貸付金」だけにかかる旨主張し、その根拠として、そのように解さなければ「政岡商事としての貸付」とそれ以下にある「貸付のための払出し」とが重複することとなり、文意が通じない、というのである。しかしながら、供述全体の趣旨に照すと、前記供述は、「政岡商事としての貸付金」で切れるのではなく、「政岡商事としての貸付金の受入れ」と続けて読むべきであり、また、「政岡商事としての」という文言は単にすぐ下にだけかかるのではなく、それ以外の部分にもかかるものと解すべきことは明らかであつて、右所論はとうてい採用できない。また、右てん末書中の「表」とか「裏」とかの記載は、被告人会社の金融取引の「表」「裏」の趣旨であることも供述自体から明らかである。

(3)  ところで、もし、公表計上分を超える原判示所得が、被告人政岡個人に帰属するとすれば、被告人政岡は、対応年度における所得税の確定申告にあたり、事業所得を計上しなければならないわけであるが、押収してある被告人政岡の昭和四一年、同四二年分の各所得税確定申告書によれば、いずれも給与所得を計上しているのみで、一切事業所得を計上していないことが認められるのであつて、右の事実からも、原判示所得の帰属およびそれに対する被告人政岡の認識を推知することができるのである。

この点につき、被告人政岡は、昭和四一年分については日正興業、錦田農協に対して、また昭和四二年分については甲府陸送株式会社、有限会社柿島別館、学校法人富士見丘学園に対して、それぞれ多額の貸倒損があつたので、事業所得がなく申告する必要がなかつた旨弁明する。しかしながら、税務関係報告書綴中の被告人会社の昭和四一年同四二年分の法人税確定申告書および添付の決算書類によれば、錦田農協を除くその他の関係では、被告人会社が公表決算書類上も会社の取引として掲記し、被告人会社が受取つた不渡手形あるいは貸倒金として計上していることが認められるのであつて、この点で前記弁明はとうてい措信できない。また、錦田農協に対する関係では、鈴木次郎作成の「政岡彌三郎氏との取引について」、「政岡彌三郎関係預金の支払状況について」と題する各上申書、石上舜而に対する大蔵事務官の質問てん末書、石上舜而作成の「学校法人富士見丘学園の債務処理に関する政岡彌三郎との契約について」と題する上申書、被告人政岡に対する大蔵事務官の昭和四四年四月一九日付質問てん末書によれば、昭和四一年、同四二年当時、たしかに錦田農協は六、〇〇〇万円余の預金の返還を拒んでいたのであるが、回収不能にはなかつたのであつて、現に昭和四三年には現金一、九五〇万円の支払を受け、残金四、七〇〇万円余については右農協が富士見丘学園に対して有する債権の譲渡を受けることによつて和解が成立したことが認められ、したがつて、昭和四一年、同四二年当時においては貸倒損として計上できないものであつたことが明らかであつたと認められる(昭和四三年以降において、右譲渡を受けた富士見丘学園に対する債権について貸倒損として計上しうる余地のあることは別論である。)のであつて、この点でも被告人政岡の前記弁明は措信できない。

以上(1)ないし(3)の諸点を考慮し、原判決挙示の各証拠を総合すると、原判示所得中公表計上分を超える部分も、いずれも被告人会社の営業活動によつて取得されたもので、被告人会社に帰属するものと認められ、また、被告人政岡自身も、これが個人に帰属するものとの認識を有していたものでないと認められるのである。被告人政岡の捜査段階および原審公判廷における供述中右認定に反する部分はとうてい措信できない。なお、被告人会社から金員の貸付を受けたり、協力預金を依頼した者らのうちには、その相手方が被告人会社なのか被告人政岡なのかにつき多少曖昧な供述をしたり、あるいは、相手方は被告人政岡であると供述する者もあるが、供述の信憑性に乏しく、そのような供述があるからといつて右認定の妨げとなるものではない。

また、所論にかんがみ記録を精査しても、原判決が原判示各証拠により、原判示各勘定科目の数額を認定したことは相当であつて、各数額につき認定の誤りはない。

よつて原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

二  控審趣意第二点について

所論は、要するに、原判決は、原判示別紙各修正損益計算書の勘定科目〈4〉において預金利息を認定しているが、預金利息については、すでに一〇〇分の一〇または一〇〇分の一五の各税率による所得税が課税され、源泉徴収されているのであるから、重複課税防止の見地から、法人税法六八条一項により各逋脱年度の源泉徴収所得税額を確定し、これを、控除して各逋脱年度の正規の法人税額を確定したうえ、各逋脱額を算出認定すべきであるのにもかかわらず、右源泉徴収所得税額を確定することもなく、また、これを控除することなく各逋脱年度の逋脱税額を認定している原判決には、事実の誤認、法令の解釈適用の誤り、ないしは審理の不尽、理由不備の違法があり、右瑕疵は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というものである。

よつて検討するに、所論指摘の法人税法六八条一項は重複課税防止の趣旨に出たものであるが、重複課税の不利益を免れようとする法人は、同条三項により、確定申告書に控除を受けるべき金額およびその計算に関する明細を記載することを要求され、右記載がある場合に限り、一項の税額控除の措置がとられることとされているのである。そして、本件についてこれをみると、押収してある税務関係報告書一綴中の原判示各逋脱年度の被告人会社の法人税確定申告書によれば、右所定の記載がないことが明らかなのであつて、この点において法人税法六八条一項を適用する余地はないのである。なお、記録を検討しても、本件において記載がなかつたことについてやむをえない事情があつたとは認められず、したがつて同条四項を適用すべき場合にも該当しない。よつて、原判決が、預金利息収入につき、源泉徴収された所得税額を各控除して原判決のとおり預金利息収入を認定のうえ実際所得額、正規の法人税額、逋脱税額を各認定したことには、所論のような瑕疵はなく、論旨は理由がない。

三  控訴趣意第三点について

所論は、要するに、仮に原判示所得のうち公表計上分を超える分が、客観的には被告人会社に帰属するとしても、被告人政岡としては、政岡個人に帰属するものと認識していたから、違法性の認識を欠き、また右認識を欠いたことに過失はないから、いわゆる逋脱の故意を欠くうえ、被告人政岡の所為は、何ら法人税法一五九条一項にいう偽りその他不正の行為に該当するものではなく(第三点の一ないし四)、仮に同条項に該当するとしても可罰的違法性を欠くものである(第三点の五)ところ、これと異なり、被告人政岡に逋脱の故意があるとして、被告人両名を右法条違反に問擬した原判決には、事実の誤認ないしは法令の解釈適用に誤りがあり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、前記一で検討したとおり、原判示所得のうち公表計上分を越える部分につき、被告人政岡が、もつぱら個人に帰属するものであると認識していたとはとうてい認められないのであつて、このことと被告人政岡が大蔵事務官の昭和四四年四月一九日付、八月三〇日付各質問てん末書において逋脱の時期、収入除外の方法等につき詳細供述するところを総合すれば、本件につき、被告人政岡に逋脱の故意があつたことが優に認められるのである。そして、本件において被告人政岡が提出した確定申告書が、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽のものであることは関係証拠により明らかであつて、右のような確定申告書を提出すること自体法人税法一五九条一項の偽りその他不正の行為に該当するものというべきである(最高裁判所昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決、刑集第二七巻二号一三八頁参照)。

また、本件の罪質、態様、逋脱額等からすれば、本件所為が可罰的違法性を具備することも明らかである。

よつて、原判決には所論のような事実の誤認ないしは法令の解釈適用に誤りはなく、趣旨は理由がない。

四  控訴趣意第四点について

所論は、要するに、原判決は、原判示各所為に対し、被告人政岡について法人税法一五九条一項を、被告人会社について同法一六四条一項、一五九条一項を各適用、処断しているが、右各所為に対しては、すでに国税通則法六八条一項により被告人会社に重加算税が賦課されているのであり、重加算税賦課の構成要件と右逋脱犯の構成要件とは実質的に同一であり、かつ、重加算税は刑事罰たる罰金の実質を有するのであるから、(1)同一所為に対し、この上さらに前記法条を適用、処断することは憲法三九条後段の趣意に照し許されない、(2)仮に、重加算税が賦課された同一所為に対し、さらに前記法条を適用、処断することが許されるとしても、自由刑のみが選択されるべきであり、罰金刑を選択することは許されない、と解すべきところ、これと異なる原判決には、憲法三九条後段、および前記各法条の解釈、適用に誤りがあり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、国税通則法六八条により賦課される重加算税は、刑事罰とはその趣意、性質を異にするものであり、同一の租税逋脱行為に対し、重加算税のほかに刑罰を科することは憲法三九条後段に違反するものではない(最高裁判所昭和四五年九月一一日第二小法廷判決<刑集二四巻一〇号一三三二頁>等参照)。したがつて、被告人政岡に対する関係においてはもちろん、重加算税を賦課された被告人会社に対する関係においても、原判示各所為につき、前記法条を適用し処断することは憲法三九条後段に違反するものでなく、また、前記法条の解釈、適用を誤つたものでない。

なお、所論は、実質的に刑事罰の性質を有する重加算税を租税徴収という行政手続で科することとなる国税通則法六八条は憲法三一条、三二条および一三条に違反するものである、というのであるが、右のことは、本件につき法人税法一五九条一項を適用、処断することの違憲、違法の問題とはまつたく別個の問題であつて、原判決に対する非難にはあたらないから、主張自体失当である。論旨は理由がない。

五  控訴趣意第五点について

所論は、要するに、被告人らに対する原判決の量刑は重きに過ぎ不当である、というのである。

よつて検討するに、本件の罪質、動機、態様、逋脱額等に加え、被告人らは昭和三七事業年度分の被告人会社の法人税の逋脱につき調査査察を受け、昭和四一年には被告人両名が法人税法違反事件により公訴の提起を受けておりながら、またも同種事犯である本件各所為に及んだものであること等を考慮すると、犯情は悪質であるといわざるをえないのである。したがつて、被告人会社については、すでに本件につき重加算税等が賦課されていることや、昭和四九年六月二九日解散し、現在清算手続中であること等の諸事情を斟酌しても、原判決程度の罰金刑を科することはまことにやむをえないところであつて、原判決の量刑が重きに過ぎ不当であるとは認められない。他方、被告人政岡についてみると、同人は明治三一年生れという高令であるうえ永く病気療養中であり、再犯のおそれはないこと、被告人会社における立場は前記一の(1)において認定したとおりであつて、被告人会社は、ほとんど被告人政岡の資金により営業活動を行なつてきているため、被告人会社の金銭上の出捐は、被告人政岡個人にも密接に影響してくる事情にあり、このような関係から、被告人会社に対し罰金刑を科することが、結果的には被告人政岡個人に対する制裁の性質をも帯びるものであること、現に前件において被告人会社に科せられた六〇〇万円の罰金は、被告人政岡においてこれを立替え支払をしていること、その他、被告人の生い立ち、郷里の各種施設への寄付の状況等記録にあらわれた被告人政岡のために酌むべき諸事情を十分斟酌すると、懲役刑に加え罰金刑をも併科することは、聊か酷に過ぎるものと認められ(ちなみに、原審における検察官の求刑は、懲役刑のみであつた。)原判決はこの点において重きに過ぎ不当であると認められる。

よつて、被告人会社の関係では論旨に理由がなく、被告人政岡の関係では右の限度で論旨は理由がある。

六  結論

以上のとおり、被告人会社の本件控訴は理由がないから刑訴法三九六条によりこれを棄却し、被告人政岡の本件控訴は理由があるから、同法三九六条、三八一条により同被告人に対する原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により、被告事件につきさらに判決する。

原判決が認定した事実に、法令を適用すると、原判示各事実はいずれも法人税法一五九条一項に該当するところ、いずれも懲役刑のみを選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い原判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人政岡を懲役八月に処し、同法二五条一項によりこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、刑訴法一八一条一項本文により原審における訴訟費用中その二分の一を被告人政岡に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀江一夫 裁判官 森眞樹 裁判官 中野久利)

昭和五〇年(う)第一一九九号

○控訴趣意書

被告人 政岡商事株式会社

代表者清算人 渡辺清

右の者に対する法人税法違反被告控訴事件について、控訴趣意を左記の通り開陳する。

昭和五〇年七月二八日

右被告人弁護士

弁護士(主任) 西村真人

弁護士 岸厳

同 糸賀昭

同 北村一夫

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

第一点 原判決は、その理由(罪となる事実)の冒頭において、被告会社の代表取締役であつた、相被告人政岡彌三郎(以下、被告人政岡という)が、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、貸付利子収入、手形割引料および協力(導入)預金謝礼金収入の一部を除外して簿外預金を設定する等の方法により所得を秘匿し、被告会社の昭和四一年度および昭和四二年度の各法人税の確定申告に付き不正に虚偽過少の確定申告を行つた旨を認定しているが、これらは事実を誤認したものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。その理由は以下に述べる通りである。

一、 原判決は本件の所得の帰属者自体に関する根本的事実を誤認している。

(一) 被告会社は昭和三九年一月一九日発足した貸金業等の金融業を目的とする会社であり、相被告人政岡の二男である政岡武が代表取締役となつて経営していたが、同人が昭和三五年六月一五日死亡後は、相被告人政岡が昭和四八年一二月二四日退任するまで、被告会社を経営していたものであるけれども、相被告人政岡は、被告会社とは別に、相被告人政岡個人として、昭和三一年一月二七日付で貸金業の届出をして、金融業を営み、被告会社成立後も、被告会社とは別個に、個人として金融業を営んでいたものであることは原審において顕著な事実であり、原審公判においても、相被告人政岡は裁判官の問に対して、被告会社成立後である昭和三五年以降も個人として金融事業を継続していた旨(一六七二丁)を供述し、また弁護人の問に対して、被告会社としては資本金一千万円の範囲内で金融事業を営んでいた旨を供述している(一六六一丁)のであり、被告会社の代表者である、相被告人政岡は、相被告人政岡個人とは別個に、被告会社の昭和四一年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度および昭和四二年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度の所得に付き各法人税の確定申告をしているのであつて、これについて、相被告人政岡は、被告会社の代表者として、被告会社の法人税を免れようと企て、被告会社の貸付利子収入、手形割引料および協力預金謝礼金収入の一部を除外したり、またこれらによつて、簿外預金を設定したりして、被告会社の所得を秘匿し不正に虚偽過少の確定申告をしていないのである。

(二) 前記の通り、相被告人政岡は、相被告人政岡個人として、被告会社とは別個に金融取引を営んでいたのであり、これと、被告会社としての金融取引とを区別していたのであり、被告会社が金融取引をするのに際し、被告会社に資金がない場合は、相被告人政岡個人が、被告会社に資金を融資することがあつたとしても、それはあくまでも、被告会社としての金融取引であるとして相被告人個人の金融取引と、被告会社の金融取引とを区別し、被告会社の金融取引による収入に基いて、被告会社の法人税確定申告を行つていたものであり、これと、相被告人個人の金融取引による収入、すなわち、相被告人政岡個人の所得税の申告とを区別していたものである。然るに租税庁や原審裁判所が、相被告人政岡個人の金融取引を、被告会社の金融取引であり、被告人政岡個人の金融取引による所得を、被告会社の金融取引による所得であると認定して、事実を根本的に誤認し、その結果、被告人政岡個人の金融取引による貸付利子収入、手形割引料および協力預金謝礼金収入を、被告会社の収入と誤認したため、被告会社がこれを除外し、簿外預金を設定し、被告会社が所得を秘匿し不正に虚偽過少申告をしたものであると誤認していたのである。事実誤認の詳細な理由については、後記の二、において詳述するところを茲に引用して省略し、重複を避けるものであるが、要するに、原判決は全体として、本件所得帰属者自体について根本的に事実を誤認しているのである。

二、 原判決はその理由の(罪となるべき事実)の判示第一の事実として、被告会社の昭和四一年度の実際所得金額が二、三九九万四、二三二円であつた旨を、また判示第二の事実として、同じく昭和四二年度の実際所得金額が六、四八一万五、七〇八円であつた旨を認定しているが、これは何れも事実を誤認したものであり、かかる誤認を前提として、被告会社が七三八万七、二二〇円(判示第一)および二、一六二万〇、二〇〇円(判示第二)の各税額を判示第一および第二に各記載の通りの虚偽過少申告という不正行為によつて免れた旨を認定しているが、前提である実際所得についての認定が誤りであるから、免れたという税額の認定が誤りであることはいうまでもない。その理由は以下に述べる通りである。

(一) 原判決はその理由の(事実認定について)と題する部分において、弁護人が、協力預金謝礼金収入(判示別紙第一の〈3〉、同第二の〈3〉)および預金利子(判示別紙第一の〈4〉、同第二の〈4〉)は、相被告人政岡個人に帰属するもので、被告会社に帰属するものではないと主張したことに対して、当裁判所の判断として、これらを、被告会社の帰属であると認定しているが、これは事実を誤認しているものである。すなわち

(1) 原判決は先ず、「その(被告会社)の資本金の全ておよびその後の事業資金のほとんどは、相被告人政岡が提供し、被告会社が、相被告人政岡から貸金債権や不動産を引継いだものであり、政岡武(被告会社の元代表者)が死亡後は、相被告人政岡が、被告会社の代表者となり名実共に、被告会社の事業全般を主宰するに至つたので、右時点以降は、相被告人政岡個人と、被告会社との二本建で貸金業を営まねばならぬ合理的理由がなくなつたと認められる」旨を認定しているが、

(イ) 被告会社の設立資本金五〇〇万円は相被告人政岡が政岡武に贈与し、政岡武が、被告会社の資本として出資しているのであつて、相被告人政岡が、被告会社に提供したものではない。また、被告会社のその後の事業資金のほとんどは、相被告人政岡が提供したと認定しているが、これは貸付けたものであり、これらのことは原判決挙示の証拠によつて明らかである。

(ロ) 被告会社が、相被告人政岡から貸金債権や不動産を引き継いだことは絶対にない。原判決は昭和三五年一月一九日付の、相被告人政岡の作成の「念書」写等を証拠にかかる事実を認定しているのであるが、この念書は、相被告人政岡が作成したものではなく、綾野友文が作成したものである。右念書が作成された経緯は昭和三八年に、被告会社が昭和三五、三六、三七年度の所得に付き日本橋税務署の法人税係官(中原・鈴木・那波)の調査を受けた際、被告会社と関連して、相被告人政岡個人の昭和三五、三六、三七年度分の所得についても調査がなされたのである。相被告人政岡は、被告会社とは別個に個人として、被告会社の設立の前後に亘つて、金融業を営んでいたのであるが、莫大なる欠損により申告すべき所得(利益)がなかつたため所得税の確定申告をしていなかつた。本来ならば調官は、相被告人政岡個人の所得に関しては、所得税係の方へ廻すべきであるのに、そうはせず、相被告人政岡個人の金融取引関係を、被告会社の金融取引関係であるとするために、相被告人政岡個人の取引分を、被告会社の設立日である昭和三五年一月一九日付で、被告会社に引継いだ旨の念書を提出することを要求するようになつたのである。当時、相被告人政岡は病気のため静養中であつたので、富永敏税理士、綾野友文らが鈴木東海係官らと接渉していたのであるが、昭和三八年一〇月頃、税理士が鈴木係官らと接渉の結果、引継書(念書)を提出すれば、一切の調査を打切ることになつたから、引継書(念書)を提出するようにと、原稿を綾野友文に示し、綾野友文は、被告会社の取引分は被告会社の帳簿に、相被告人政岡個人の取引分は、相被告人政岡の手帳にメモして、それぞれ区別されていたのであるけれども、引継書(念書)を提出すれば一切の調査を打切るということを信じ、それならばといわれるままに、示された原稿を清書して提出したのである。従つて昭和三五年一月一九日付の念書の記載は真実ではないのである。

ところが、右念書提出後になつて、全く約旨に反し、国税局の査察が入り、福永・吉田らの係官が、がんのため大手術を受け、漸く退院して静養していた、相被告人政岡方へ二晩泊り込み、三日間連続取調べを行つたので、相被告人政岡は生命にはかえられないので、いわれるままに質問てん末書を書かされ、その後、これに基づいて検察官の取調べを受けたが、病気でもあり、心証を害して、逮捕されても困るので、質問てん末書の基本を変更するような供述書(昭和四一年一月三一日付)とはならなかつたのである。従つて、この昭和四一年一月三一日付、相被告人政岡の供述書も真実が記載されているものではないのである。

その後、被告会社の昭和三七年度の法人税確定申告に逋脱があるとして起訴され、その裁判において、この点について争つたのであるが、鈴木東海証人も福永敏証人も、何れもその立場上、真実を言明することを避けているため真実が認定されなかつたのであるが、鈴木東海の証言が到底、措信できないものであることは、以下述べるところによつても明らかである。すなわち、

A. 昭和三五年一月一九日付の念書の宛名は政岡商事株式会社「取締役政岡武殿」となつているが、自由な意思で真実引継ぎ念書を記載したとすれば、当然「代表取締役政岡武殿」となつている筈である。

B. 念書の十一枚目裏に、「受取人、東京都港区中央区銀座一丁目四番地」と記載されているが、これ亦、然りである。

C. 念書の二枚目裏の二千八百万円の手形の内訳は何か。また「市中手形」とは何か。

D. 総額一億八千五百七十万円の債権および不動産を引継したとは経済的にまた法律的に如何なる意味であるのか?債権譲渡か?贈与か?これに因る税金の賦課はどうしたのか?債権譲渡もしくは贈与の法律上の手続がとられているのか? 特に不動産は担保物権の譲渡か? 所有権の譲渡か? 全くあいまいな意味不明の記載ではないか。

E. 相被告人政岡個人の金融取引分を、被告会社に引継いだというのであれば、債権だけでなく、債務も当然に引継がれていなければならない筋合である。然るに、相被告人政岡個人による取引分のうち、債務は全然引継がれていない。これは自由な意思に基づいて、引継がなされたものでない証左である。

F. 被告会社は昭和三五年一月一九日に資本金五〇〇万円として設立されたのであるが、右設立と同時に、相被告人政岡個人の金融取引分のうち、一億八千五百万円分を引継いだ。しかもその債権のみを引継いで債務は全然引継いでいないということは如何にも不合理であり、不可解である。この点は、相被告人政岡が、前代表者政岡武死亡後、昭和三五年七月四日に、被告人会社の代表者に就任していること、および、被告会社が昭和三七年五月一日に、金五〇〇万円を増資して資本金を一、〇〇〇万円にしていることによつても、昭和三五年一月一九日に前記のような引継がなされたということが如何に虚偽であり、真実に反するものであるかが明白である。

G. 要之、右念書は法人税徴収のための便法手段として作成せしめられたものに外ならず、その記載内容は真実でないのである。

(ハ) 原判決は、相被告人政岡が、被告会社の代表者に就任した時点以降は、相被告人個人と、被告会社との二本建で貸金業を営まなければならない合理的理由がなくなつたと認められると認定しているが、相被告人政岡は元々個人として金融業を営んでいたのであり、それをそのまま所謂「法人成」として、被告会社を設立したのではない。被告会社は前記の通り政岡武が主宰していたものであり、その顕客先等は異つていたのであり、相被告人政岡は、被告会社の綾野友文の懇請により、被告会社の代表取締役に就任したのであり、また、相被告人政岡の家庭は複雑であるために、相被告人政岡は、被告会社とは別個に、個人として金融業を営む必要があつたのである。

(2) 原判決は「他方協力預金謝礼金が、相被告人政岡個人に帰属するとすれば、相被告人政岡が所得税の確定申告に際し、事業所得を計上しなければならない筋合であるが、相被告人政岡は昭和四一、四二年度の各所得税確定申告において、一切事業所得を計上していない。その理由として、相被告人政岡が、大蔵事務官の昭和四四年一月一七日付てん末書において、昭和四一年度分についての日正興業に対し、二、〇〇〇万円、錦田農協に対し四、七〇〇万円、昭和四二年度分について甲府陸送に対し七〇〇万円、柿島別館に対し三五〇万円、富士見丘学園に対し七二〇万円の各貸倒損があるから事業所得がなく申告する必要がなかつた旨供述していると判示しながら、右協力預金、従つて亦、その謝礼金収入が、相被告人政岡個人に帰属するものではなく、被告会社に帰属するものであると認定する理由として、以下の通り判示しているが、その妥当でないことは以下に述べる通りである。

(イ) 原判決は、被告会社が、その法人税確定申告において、日正興業、甲府陸送、柿島別館、富士見丘学園を自己の取引先として表示し、それらの者から受取つた不渡手形、あるいは貸倒金として計上していることを挙げているが、前記の通りこれらの取引先の中には、本来、相被告人政岡個人の取引先であり、それが前記の通り昭和三八年になつて、被告会社に引き継ぎさせられたものもあり、それが継続しているため致し方なく形式上、被告会社の取引先として表示計上せざるを得ないものもあるのみならず、それだからと言つて、そのことから直に、協力預金およびその謝礼金が、相被告人政岡の帰属ではなく、被告会社の帰属であると速断することは論理の飛躍があり、妥当ではない。被告会社に貸付することと、相被告人政岡が金融機関に協力預金をすることとは別個の問題である。従つて亦、日正興業、甲府陸送、柿島別館、富士見丘学園、被告会社の取引先であるから、相被告人政岡において、貸倒れとして計上することができないという原判決の判断も同様、論理の飛躍があり、妥当な判決ではないのである。

(ロ) 原判決はまた錦田農協に対する四、七〇〇万円については、昭和四一、二年度の貸倒れとして計上できない旨判示しているが、この点は貸倒れについての、相被告人政岡の見解と裁判所の見解が異るのみならず、またこのことから協力預金およびその謝礼金収入が、相被告人政岡の帰属ではなく、被告会社の帰属であると速断することができないのである。

(ハ) 原判決は、「協力預金はこれを経済的に観察すれば預金者の金融機関を媒介とする被融資者に対する融資であり、被融資者から預金者に支払われる協力預金謝礼金は、実質的には、預金に対する裏金利であつて、本件の協力預金による謝礼金収入の得は金融事業の一端に他ならない」と判示しているが、この判示の趣旨自体については、えて異論を唱える必要はない。しかしこれは協力預金そのものについての理論であつて、このことから直に本件協力預金およびその謝礼金収入が、相被告人政岡に帰属するものではなく、被告会社に帰属するものであるとの結論を導き出すことはできない。相被告人政岡が個人の所有に帰属する金員を金融機関にいわゆる協力預金をし、該金融機関の融資先から、謝礼金を受取つたことが、相被告人政岡個人の金融事業の一端であると認定されるならば、えて異論を唱えるものではないが、相被告人政岡個人の所有に属する協力預金およびその謝礼金収入が、被告会社の所得に帰属するものであるとする認定が問題であるのであつて、原判決の右説示は、この点について、何等合理的理由を説示したものであるとは云えないのである。

(ニ) 原判決は、相被告人政岡に対する昭和四四年一〇月二八日大蔵事務官の質問てん末書に記載されている普通預金、定期預金に関する供述書の一部を摘示して、協力預金およびその謝礼金収入が、相被告人政岡個人に帰属するものではなく、被告会社に帰属するものであることを理由付けようとしているが、元来、右質問および供述は前記の通り、相被告人政岡個人が、被告会社設立の前後に亘り継続して取引していた取引分を、被告会社設立後三年半以上も経過後になつて、被告会社設立時に遡及して、形式上、被告会社の取引として引継ぎさせられたことに因るものであるから、多少の矛盾撞着のあるのは、止むを得ないところであり、これを断片的に捉えて、真相を判断することは決して妥当であるとはいえないのである。またそのうえに、取調官の意に抗することが、如何に不利なるものであるかを従前から具さに体験している、相被告人政岡の供述が、必ずしも真実を真実として述べず、取調官に迎合して、不利を承知の上で真実に反する供述をしている点もあることは容易に理解されるところであるから、正に公正な裁判官の大局的判断によつて、ことの真相の把握が要請されるのである。原判決は、右質問てん末書において、相被告人政岡は本件の普通預金について、「政岡商事としての貸付金、受取利息の受入れ、割引手形の取立口座、導入預金謝礼金の受け入れ、貸付のための払出し、導入預金設定のための払出し等に利用していたものであると供述している旨を引用しているが、原判決は右の文言のうちの「政岡商事としての」という文言は、「政岡商事としての貸付」だけにかかるものと理解しているのか?それとも、それ以下の全てにかかるものと理解しているのか?理解に苦しむが、おそらく後者の意味で理解しているのではないかと推認されるが、しかし「政岡商事としての」という文言は「政岡商事としての貸付」だけにかかるものであつて、それ以下の、受取利息の受入れ等については、かからないと見なければならないことは、文言の形式上からは勿論であるが、若しそうではなく、以下の全てにかかると解するならば「政岡商事としての貸付」と、それ以下にある「貸付のための払出し」とがダブルことになり文意が通じないことになるのである。右文言の「政岡商事としての貸付金に利用した」という趣旨は政岡商事としての貸付金のために政岡個人が個人の普通預金から払出して政岡商事に貸付けるために利用したということであり、「導入預金謝礼金の受入れ」「導入預金設定のための払出」等は、相被告人政岡個人の金融業のための利用であるという趣旨である。

その他、「表とか」「裏とか」に関する供述は、相被告人政岡個人の金融取引についての「表」、「裏」という趣旨であり、被告会社の取引の「表」、「裏」ではなく、また、被告会社が「表」であつて、被告会社の「裏」が、相被告人政岡個人の取引という趣旨ではないのである。相被告人政岡は、被告会社の金融事業の運転資金は、被告会社の資本金一、〇〇〇万円の枠内で運営しており、被告会社の出納帳が赤字になれば、相被告人政岡個人が、被告会社に資金を貸し付け、被告会社は社長借入金勘定科目を建てて、被告会社の帳簿をつけていたという趣旨を供述しているのである。「表も裏もなく運用して決算の時、辻つまを合せていた」という供述はナンセンスである。原判決は、また定期預金については、「大部分は協力預金の目的で、設定したものです」との、相被告人政岡の右供述を取り上げているが、それは、相被告人政岡個人が、協力預金の目的で、相被告人政岡個人の定期預金をしていたという趣旨を供述しているのであつて、被告会社の所有の金員を、被告会社が協力預金をするために、被告会社の定期預金をしていたという趣旨ではないのである。従つて、原判決の「これらの預金を一体となつた一個の資金源として金融事業のために使われていたことが認められる」という認定は、事実を誤認したものであるといわなければならないのである。

(3) 原判決は、以上の認定による「各事業を総合すれば、被告人政岡が、被告会社の代表取締役となつて以降の金融事業はすべて、被告会社の業務として行われたものであり、本件協力預金はいずれも、相被告人政岡が、被告会社の業務として行つたものと認めるのが相当である」と判示しているが、かかる認定が合理性がなく、妥当性のないものであることは既に述べたところにより明らかである。従つて、原判決がかかる誤認された前提に基き、協力預金謝礼金ならびにその預金(普通・定期)利息がすべて、相被告会社に帰属するものであると断定することが誤認であることは云うまでもないところである。

(4) なお、原判決は、協力預金以外の普通預金・通知預金等の預金利息についても、「これが被告会社の事業活動によるものである以上、被告会社に帰属することは言うまでもない」と判断しているが、かかる判断が合理性がなく、妥当性がないものであることは、既に述べたところにより明らかであるのみならず、通知預金については、以上において何ら触れていないのであり、協力預金以外の普通預金・通知預金が、被告会社に帰属するという認定は誤認であるといわなければならないのである。

(5) 本件協力預金(普通預金・定期預金)およびその謝礼金収入ならびに協力預金以外の普通預金・通知預金およびその利息収入が、相被告人政岡に帰属するものであることは、被告らの終始一貫して主張するところであり、相被告人政岡の原審における供述によつて明らかであるので左にその一部を例示する。

(イ) 終戦当時現金だけでも五〇〇万円を持つており、それを当時の安田銀行、現在の富士銀行の定期預金にしていた。その金は現在の五〇億くらいに相当する旨(一六五七丁)

(ロ) 政岡商事の資本金を一、〇〇〇万円にし、会社に二億円ぐらい融資したが、残りの三、四億円は個人で間違いなく銀行預金にしたりして今日に至つている旨(一六五八丁)

(ハ) 個人の預金だけは絶対に否認しました。というのは、私には眷属が多いところへ、学校経営などもしていましたので、月々の経費が五〇万円や一〇〇万円は必要でして、給料だけではとてもやつてゆけないのです。それで預金でかせいだ分はすべて個人のものだということで調査は完了したと思つていました旨(一六六〇丁)

(ニ) 会社としては、資本金一、〇〇〇万円の範囲内で事業をしていたというのか、との問に対し、はいそうです、と答えている。(一六六一丁)

(ホ) 第一回の査察(昭和三八年九月、一〇月頃)のありましたころ、私には三億くらいの個人預金と財産がありました。それは査察の結果からもはつきりしていることでありまして、それは会社に編入されていないのです。その金で私が直接に自分で協力預金をしてお礼を貰つた旨(同丁)

(ヘ) 協力預金のお金はどこから出ているのか、との問に対して、私個人のもので預金しました、と答え、会社の営業としてやつたのではないか、との問に対して、絶対に違います、と答え、会社にはそれだけの金(協力預金の金)はなかつたのか、との問いに対して、はいありません、と答え、協力預金したことに対する礼金は個人収入だというのか、との問に対し、そうです、と答えている(以上一六六二丁)

(ト) 預金利息のことだが、これは誰のものか、との問に対し、全部私個人のものです、と答え、定期預金・普通預金ともそうか、との問に対し、はい全部が私個人のものです、と答えている(一六三三丁)

(チ) 会社が金を貸すとき、被告人(政岡)が個人のお金を会社に貸して、会社がそれを貸付けたということのようだが、との問(検察官)に対して、はい、と答えている(一六六九丁)

(リ) 協力預金およびその謝礼金収入が、被告人政岡に帰属する旨の供述については前記のほか、左の通りである。

A 北上・三島各農協に対する協力預金(一六六二丁)

B 錦田農協(富士見丘学園関係)に対する協力預金一二、〇〇〇万円(一六六二丁、一七八九丁、一七九〇丁、一九七一丁)

C 甲府信用金庫(甲府陸送関係)に対する協力預金五、〇〇〇万円(一七九〇丁、一七九一丁)

(ヌ) なお、相被告人政岡個人の金融事業ではなく、被告会社の金融事業であると認められたことの重要証拠である昭和三五年一月一九日付念書が、相被告人政岡作成のものではなく、その内容を、相被告人政岡は具体的に知らなかつたこと、その記載内容は真実のものでなかつたこと等に関する、相被告人政岡の供述については、一七八五乃至一七八九丁参照。

(6) なお、本件協力預金(普通預金・定期預金)およびその謝礼金収入が、被告会社に帰属し、相被告人政岡に帰属しないものであるとする原判決の認定が誤りであることは、金員の貸付を受けたり、協力預金を依頼した側の者らが、相被告人政岡に依頼し、相被告人政岡個人から貸付を受けたり、協力預金をして貰い、相被告人政岡個人または、その代理の者に謝礼金を交付している事実によつても明らかである。検察官の、被告会社から貸付を受けたり、協力預金をして貰つたのではないかという趣旨の質問または追求に対し多少あいまいな答弁をしたり等している者もあるが、証言の全趣旨は、相被告人政岡個人に依頼し、相被告人政岡個人から貸付を受けたり、協力預金をして貰い、相被告人政岡個人に謝礼金等を支払つていると供述しているものであると解するのが相当である。この点に関し、長くなるので、その一部を、しかも供述個所を摘示するにとどめる。

(イ) 荒木一作(日正興業関係)の原審公判における昭和四七年九月五日の供述

検察官の「政岡商事株式会社乃至政岡彌三郎から日正興業株式会社が金を借りたことがありましたね」との質問に対し、「政岡商事はわからないけれども政岡さんから借りております」と答えている旨(速記録の二枚目の表から裏にかけて)

(ロ) 小松原賢誉(小松原学園関係)の原審公判における供述

A 検察官の質問に対し、私は政岡さん個人から借りているつもりで、すべてを交渉しておりました旨(二九五丁)

B 弁護人の質問に対し、協力預金をしてくれということを「政岡さんに頼んだわけです」旨(三一三丁)ならびに「政岡の自宅へ頼みに行つた」旨(三一四丁)

(ハ) 武井昭三(甲府陸送関係)の原審公判における供述

A 検察官の質問に対し、「政岡彌三郎さんに協力預金をして貰つたり、金を借りたり、手形を割引いてもらつたりしたことはあります」旨(三三六丁)

(ニ) 柿島みち(柿島別館関係)の原審公判における供述

A 検察官の質問に対し、政岡彌三郎は知つているが政岡商事株式会社は知らない旨(五五五丁)

B 「証人は政岡彌三郎に何か協力預金というようなものをしてもらつたことがありませんか」との検察官の質問に対し、「ございます」と答えている旨(五五五丁―五五六丁)

(ホ) 小野ちえ(富士見丘学園関係)の原審公判における供述

A 検察官の「政岡彌三郎個人あるいは政岡商事株式会社という法人から金を借りたり、あるいは、いろんな融資を受けたりしたことがありますか」との質問に対し、「はいございます」と答えている旨(一〇四〇丁―一〇四一丁)

B 検察官の「たとえば預金をして貰つたとか、そういうようなことがありますか」との質問に対し「石川芳という者が政岡の手先となつて預金をしてくれたことがあります」と答えている旨(一〇四一丁)

三、 原判決はその理由の中の(事実認定について)二に、その他の数額上の主張についてと題して、「弁護人は富士見丘学園に対する協力預金謝礼金、貸付金利子収入をはじめとして……数額その他勘定科目について独自数額を挙げて争つているけれども……この点に関する弁護人の主張は理由がないというほかはない」と判断しているが、各証拠を仔細に検討して判断すれば、この点原判決は誤認しているものであることが明らかであるが、この点に関しては追而控訴趣意書補足書を提出して詳細に開陳する予定である。

第二点 原判決は事実を誤認したか、または法令の解釈を誤つたか、もしくは審理不尽、理由不備ないし理由齟語の違法があるから破棄さるべきである。以下、その理由を述べる。

一、 原判決は本件預金利息収入(判示別紙第一の〈4〉の四一六万一、九一五円および判示別紙第二の〈4〉の一、一二九万一、〇五〇円)が、被告会社の所得に帰属すべきものであると認定し、これを、相被告人政岡個人の所得に帰属するものであると主張する被告らの主張を排斥しているが、原判決のかかる認定が事実を誤認した違法な判決であることについては、既に第一点において主張した通りである。

二、 ところで本件預金利息収入については、そのうちの昭和四一年一月一日から昭和四二年五月三一日までの間に支払を受けるべきであつた分については、その一〇〇分の一〇の、また昭和四二年六月一日から昭和四二年一二月三一日までの間に受けるべきであつた分については、その一〇〇分の一五の各税率による所得税が、分離課税され源泉徴収に因り既に納付されていることは、法令の定めるところにより明らかであり(所得税法第二三条・同第一八一条第一項・同第一八二条・租税特別措置法第三条第一項および同附則=昭和四二・五・三一・法二四)、相被告人政岡も原審公判において、同旨の供述をしているのである(一六六四丁。但し昭和四一年度、同四二年度各一五パーセントという税率は不正確である)。

三、 而して本件預金利息収入が、被告会社の所得に帰属する場合においても、前記二、に掲記と同様同額の所得税が、被告会社に賦課され、源泉徴収により納付されるものであることは、法令の規定により明らかである(所得税法第一七四条・同第一七五条・同第二一二条第三項・租税特別措置法第三条第二項・同附則=昭和四二・五・三一・法二四)が、被告会社の場合は、既に源泉徴収された所得税額が、法人税法第六八条第一項により、被告会社の昭和四一年度および昭和四二年度の各納付すべき各法人税から各控除され、その各控除後の税額が、各正規の納税額とされるのであり、法人税法第六八条は二重課税禁止の趣旨を明定しているものであることは、いうまでもないところである。

四、 原判決は本件、相被告人政岡個人の所為を、すべて本件被告会社の所為であると判断して、本件預金利息収入を、被告会社の所得に帰属するものであると認定したのであるから、前記の通り、本件預金利息に付き既に賦課され、源泉徴収により納入済の所得税額は、被告会社に賦課され、被告会社が納入したものであると認定しなければならないものであることは、当然の事理である。そうして、原審は須らく本件預金利息収入のうち、昭和四一年度および昭和四二年度の分について、前記各税率により、各幾何の所得税が源泉徴収され納付済になつているかを、釈明権の行使等の方法により、これを審究して、該各年度の源泉徴収所得税額を確定し、以つてこの各所得税額を、原判決にいう各年度の各正規の法人税額(昭和四一年度八一八万七、九〇〇円。同四二年度二、二四七万五、二〇〇円)から各控除し、各控除後の各金額を以つて、各正規の法人税納入額とし、これにより各年度の、税額を認定しなければならないのである。しかもこの点に関し、相被告人政岡は「私としてはこの点が一番納得がゆかぬところでして、昭和四一年、四二年当時は一五パーセントの分離課税だけで申告する必要はなかつたのです。ですから個人の収入として、一度税金を支払つてあるのに拘らず、会社としてまた税金をかけてくるのは、税金の二重取りだと思います」(一六六三―一六六四丁)と抗争しているのにもかかわらず原審は既に源泉徴収により納入済の各年度の所得税額を何ら審究確定してこれを控除することなく、漫然と本件各、脱税額を認定したものであることは、一件記録に徴して明らかである。

五、 よつて、原判決には事実誤認の違法があるか、または法令の解釈を誤つた違法があるか、もしくは審理不尽の違法があるといわなければならないのである。而して原判決は本件預金利息に付き既に納入された所得税額の確定およびその控除を逸脱しているのであるから、原判決の説示する理由からは、その判示する、脱税額は算出されないのであるから、原判決は理由不備ないし理由齟齬があるものであるといわなければならないのである。仮りに理由不備ないし理由齟語にあたらないとしても、既に納入された所得税額が控除されていたならば、原判決の判示する脱税額は減少さるべきであるから、原判決の事実誤認または法令誤解もしくは審理不尽の違法が、判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならないのである。

第三点 原判決は事実を誤認したか、然らずんば法令の解釈を誤つた違法があり、該違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。

一、 原判決はその理由の(罪となるべき事実)の冒頭において、被告人政岡が、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、貸付利子収入、手形割引料および協力(導入)預金謝礼金の一部を除外して簿外預金を設定する等の方法により所得を秘匿したうえ、判示第一および第二記載の通り、被告会社の法人税を逋脱した旨を判示し、被告人政岡の本件法人税逋脱の故意(犯意)を認定し、以つて被告らに法人税法第一五九条第一項を適用して処断しているが、相被告人政岡は、既に第一点および第二点において述べた通り、被告人会社の金融事業とは別個に相被告人政岡個人として金融業を営んでいたものであり、相被告人政岡は、被告会社の代表取締役として、相被告人政岡個人の金融事業による所得とは別個である、被告会社の所得に付き、何等法人税を免れようと企てたり、貸付利子収入、手形割引料および協力預金謝礼金収入、預金利息収入の一部を除外して簿外預金を設定等の方法を講じて、所得を秘匿し、以つて過少確定申告をなし、不正に法人税を逋脱した事実はないのであるから、相被告人政岡に本件罪となるべき事実の認識はなく、原判決が相被告人政岡について、本件故意を認定したことは、事実の誤認に基づくものであり、その詳細な理由は既に第一点および第二点について述べたところを茲に引用して、その重複を避けることにする。

二、 若し仮りに、相被告人政岡の本件所為を以つて、法人税法第一五九条第一項にいわゆる「偽りその他不正行為」に該当するものであるとするならば、それは法令の解釈を誤つたものであるといわなければならないのである。すなわち、相被告人政岡は、被告会社としての金融取引と、相被告人政岡個人としての金融取引とを区別して行い、かかる認識と確信の下に、本件被告会社としての各法人税の確定申告を行つたのであることは前記の通り明らかであるが、後日(昭和四三年九月)になつて、租税庁が調査を行い、相被告人政岡個人の金融取引およびこれに基づく所得を、被告会社の取引および所得であると認め、被告会社の本件法人税確定申告に申告もれがあるとしてこれを申告しなければ査察に廻すぞと言われて、相被告人政岡は以前にも病気中、査察を受け、刑事裁判に附され、種々苦労をしたため、病気中、またしても査察に廻されては種々苦労が多くて困るので、相被告人政岡個人の取引およびその所得であり、被告会社の取引およびその所得ではないのにかかわらず、係官の言う通り、上申書を提出しているけれども(相被告人政岡の原審における供述の趣旨参照・一六五九丁)これらのことは、相被告人政岡が、被告会社のために、逋脱の意図を以つて租税を免れる認識の下にその手段として、租税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるために積極的に偽計その他不正手段を講じたものでないことは明らかであり、これを以つて、法人税法第一五九条第一項にいわゆる「偽りその他不正行為」に該当するものであると認めることが誤りであることは、最高裁判所の昭和二四年七月九日、昭和三八年二月一二日、昭和四二年一一月八日の各判決の趣旨等により明らかである。

三、 なお、最高裁判所の昭和三八年四月九日の判決は、所得不申告の不作為、いわゆる単純不申告は逋脱の意思にもとづくものであつても、それだけでは「偽りその他不正の行為」とはいえない旨を判示し(刑集一七・三・二〇一)、また前記昭和四二年一一月八日の最高裁判所大法廷判決は、「偽りその他不正行為」とは、「逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課、徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような、なんらかの偽計その他の工作を行うことをいう」旨を判示しているのである(刑集二一・九・一一九七)。ところがその後の昭和四八年三月二〇日の最高裁判所判決は、事実の所得を隠蔽し、その課税対象になることを回避するため、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出する行為じたい、所得不申告の不作為にとどまることなく、大法廷判例にいう「偽りその他不正行為」にあたる旨を判示しているけれども(刑集二七・二・一三八)、消極的な手段によつても税を免れうるのに、法が特に「偽りその他不正行為」という要件を設けているのであるから、逋脱の意思に基づく行為を全体的に、実質的に評価しても、なお積極的な手段とはいえない行為までも、「偽りその他不正行為」の概念に含ましめてしまうような考え方は避けるべきであり、この意味において、昭和四八年三月二〇日の最高裁判所判決は妥当な見解であるといえないと思料されるのであるが、最高裁判所判決の見解が妥当なものであると仮定しても、本件の相被告人政岡の所為は、逋脱の意思がなく、所得を隠蔽し、その課税対象になることを回避するため、所得金額を、ことさらに過少に記載して、内容虚偽の確定申告をしたものではなく、「偽りその他不正行為」に該当しないものである。蓋し前記に詳述した通り、相被告人政岡は、被告会社としての所得について、その代表者として通常の社会通念に従い、確定申告をしていたものであつたが、後日になつて、租税庁の係官から、相被告人政岡の個人所得の分についてまでも、被告会社の所得ではないかと疑を持たれ、被告会社の確定申告に「申告もれがある」、「査察に廻すぞ」といわれ、以前にも査察に廻わされてたことによつて、いろいろ苦労を重ね、刑事裁判に附されて、苦い体験をしているので、このような不利益を避けたいために、相被告人政岡個人の所得であるけれども、或は被告会社の所得であるのではないかとの疑を持たれるかもしれないと思われる。相被告人政岡個人の所得の一部を、被告会社の所得の申告洩れということにして、これを所轄の税務署へ上申告書を以つて申告したものである。もつとも何れの点からするも、相被告人政岡個人の所得であることが極めて明白であり、何ら被告会社の所得ではないかとの疑をいれる余地のない協力預金謝礼金収入および預金利息収入は右の上申書に記載しなかつたものであるが、結果的には、相被告人政岡個人の所得が全部、被告会社の所得であると認定されたのであつて、本件法人税の各確定申告について、何ら逋脱の意思がないことは勿論、被告会社の真実の所得を隠蔽したり、課税対象になることを回避したり、ことさらに所得を過少に申告して内容虚偽の所得の確定申告を提出したものではないからである。

四、 また原判決は租税法の特則であるいわゆる実質課税の原則を考慮して、相被告人政岡個人の所得を、被告会社の所得であると認定したものではないかと推認されるのである。その他、益金(所得)損金(貸倒れ)等についても、租税法特有の法規により認定が行われているものであるが、租税犯は刑事犯的傾向を強めているけれども、その本質は末だ行政犯(法定犯)の一種として命令・禁止規定に違反することにより成立するものであるから、違法性の認識を欠くときは犯意の成立を阻却すると解するのが相当であり、相被告人政岡においても本件所為に付き違法性の認識がなくまた違法性の認識を欠いたことに過失がなかつたものであることは前記事由により明らかであるから、本件は犯意を阻却し、法人税法一五九条第一項を以つて処断すべきものではないと思料するものである。

五、 更に本件事案の如きものについては、可罰的違法性を欠くものと認めるを相当とし、この意味において法人税法第一五九条を適用して処断すべきものではないと思料するものである。

第四点 原判決は判示第一および第二の各所為に付き、法人税法第一五九条を適用して、被告会社を、罰金一、〇〇〇万円に処し、相被告人政岡を懲役八ケ月、但し四年間の執行猶予、罰金五〇〇万円に処しているが、これは単に法令の解釈を誤つて適用した違法があるのみならず、実に憲法に違反した判決であり、かかる違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。以上その理由を詳述する。

(一) 判示第一および第二の所為に対しては、既に国税通則法第六八条第一項により、昭和四五年三月三一日、判示第一の所為に付き金六〇五万〇七〇〇円、判示第二の所為に付き金七九二万九、九〇〇円の各重加算税が行政罰として賦課されているのである。

(二) 而して重加算税は単なる過少申告や無申告という事実の他に、課税要件事実の「隠ぺい・仮装」(たとえば、二重帳簿の作成・架空または他人名義預金・虚偽の売買の故意を構成要件としているものであり、それは正に、不正行為を捉えてその反倫理性・反社会性・罪悪性に対する非難・制裁・処罰であり、過少申告加算税や、無申告加算税等の如く、納税義務違反の発生を防止し、租税収入の確保を図ることを目的として課せられるものではないのである。すなわち、重加算税は過少申告加算税や無申告加算税とは、処罰上の基本的構成要件を異にしているのであり、それは正に刑事犯である狭義の脱税犯の構成要件である「偽りその他不正の行為」(法人税法第一五九条第一項)と実質的には何等差異はないのである。従つて或る事実が、重加算税の課税要件(行政罰としての処罰上の構成要件)を充足すると同時に、狭義の脱税犯の構成要件を充足し、これに刑罰を科し得るのである。加之重加算税の額はその基礎となる税額の三〇パーセント(国税通則法第六八条第一項)もしくは三五パーセント(同法同条第二項・第三項)という非常に高率なものであり、場合によつては、刑罰である罰金以上に重い財産的苦痛を与えるものである。従つて重加算税の賦課は、「税」という名目を用い、且つ租税徴収という手続によつているけれども、その実質は刑事的処罰であり、罰金としての実質を有するものであり、重加算税は刑罰としての罰金と同様、脱税(逋脱犯)の重要なる抑止手段として機能しているのである。

(三) 重加算税の賦課が実質的には刑事的処罰であり、実質的には罰金を科したものであることについては、これを沿革的に見れば、なお一層明白である。すなわち、大審院明治四〇年一〇月一〇日判決が「税法違反ノ制裁トシテ科スル所ノ罰金ハ名ハ刑罰ナルモ其ノ性質ニ脱税ニ対スル一ノ賠償処分」である旨を判示している(刑録一三輯一〇九六頁)如く、戦前の判例・学説は、租税罰則、殊に逋脱犯に対する罰金刑について、徴収権の確保を期する一種の政策的見地から、租税の減収を予防し、且つ犯則者に脱税額を賠償せしめることが目的であると説明されていたのである。そしてその罰金刑の定め方も逋脱額の何倍という定額刑主義が採用されていたのである。従つて重加算税は実質的には戦前の罰金と何ら異るところはないのである。

(四) ところが戦中から戦後にかけて、租税罰則が強化され、単に租税収入確保の手段としての目的のみならず、犯則者に対し、不正手段によつて租税を免れようとする反倫理性に対する非難が目的として加味され、自由刑が科せられるようになつて以来、罰金の定額主義も次第に捨てられ、犯情に応じて罰金についても量刑がなし得るようになつたのである。かくして法人税法中において犯則者に対し、自由刑もしくは定額主義によらない罰金刑が科せられ、または情状により自由刑と罰金刑が併科され得ることになつたのであり、法人税法第一五九条第一項にこの趣旨を明定しているのである。

(五) 以上の次第であるから、国税通則法第六八条と法人税法第一五九条の各法意は、同一事実に付き、国税通則法第六八条が適用される場合は、法人税法第一五九条は適用されず、法人税法第一五九条を適用する場合は、国税通則法第六八条の適用はないという趣旨であると解しなければならないのである。すなわち、租税庁が重加算税を課した場合は、租税庁はこれについて、検察庁へ告発して刑事処罰を求めるべきではなく、検察庁はたとえ告発がなされても起訴すべきではなく、仮りに誤つて起訴がなされても、これを却下もしくは棄却するか、然らずんば無罪の判決を言い渡すべきであり、租税庁が検察庁へ告発する場合は、重加算税を賦課すべきではないのである。蓋し、前記の通り重加算税賦課の構成要件と逋脱犯の構成要件とは実質的に同一であり、重加算税と罰金とは実質的に同一であるからである。なおこのように解釈しなければならないことは憲法第三九条後段の趣旨から言つても当然である。

(六) 然るに原判決が前記の通り既に国税通則法第六八条を適用して、重加算税を賦課している本件判示第一および第二の事実について、法人税法第一五九条を適用して、被告会社に罰金一、〇〇〇万円を科し、相被告人政岡に自由刑と罰金刑を併科したことは法令の解釈を誤つて適用した違法な判決であるといわなければならないのである。

(七) 仮りに百歩を譲つて、国税通則法第六八条が適用された同一事実について、法人税法第一五九条が適用されるものと解されるとしても、それは法人税法第一五九条中の自由刑のみが適用されるものであり、罰金刑は適用されないものであると解すべきである。若しそうでないとするならば実質的に罰金の二重取りという違法・不当な結果を招来することになるからである。

(八) 日本国憲法は主権在民を原理とする民主国憲法であり、国民個人の基本的人権を高度に保障し、憲法第三九条後段において、一事不再理、二重危険・二重処罰の禁止を規定し、国民の基本的人権のうち最も重要なる生命・身体および財産を保護しているのであり、それは正にアメリカ合衆国憲法第五条に由来するものである。従つて憲法第三九条の文言の解釈も、その立法の沿革・制定の趣旨に照し、できるだけ主権者たる国民の立場から、国民個人の利益を尊重して、成る可く広義に、ゆるやかに解釈・適用して憲法の真精神に副うようにしなければならないのである。従つて憲法第三九条後段「犯罪」とは刑罰法規に該当する犯罪行為もしくは刑事手続により犯刑と認定される行為に限定することなく、広く、ゆるやかに刑事的手続による犯罪的行為をも含意するもであると解すべきである。従つて前記の通り重加算税は、形式上、刑事罰としての罰金ではなく、重加算税の賦課は形式上、刑事手続によるものではないけれども、重加算税は実質的には刑罰としての罰金と同一の性質を有するものであるから、重加算税の賦課は実質的には刑事的手続によるものである。従つて重加算税賦課の対象となる行為は、犯罪的行為であり正に憲法第三九条後段に所謂、「犯罪」に該当するものであると解釈するのが正当である。仮りに然らずとしても、憲法第三九条の趣旨は刑罰以外にも準用するを相当とすべきであり(宮沢俊義・日本国憲法三一三頁)最高裁判所も憲法第三九条前段にいわゆる事後立法禁止の趣旨は刑罰以外の処罰、たとえば地方議会における懲罰にも準用される旨を判示しており(昭和二六年四月二八日第三小法廷判決=民集五―五―三三六)、憲法第三九条後段も、刑罰以外に準用されるべきである。

(九) 然るに最高裁判所は従来、重加算税の賦課と刑罰たる罰金とは、その性質を異にするとの見解の下に、重加算税の賦課と刑罰たる罰金の併科は憲法第三九条後段に違反しない旨を判示している(最大判、昭・三三・四・三〇=刑集一二―六-九三八、最小三判、昭・三六・五・二=刑集一五-五-七四五、最小一判、昭三六・七・六=刑集一五-七-一〇五四)のであるが、これは租税法の立法の沿革、重加算税の実質(本質)憲法第三九条の真精神に照して、どうしても納得のできない見解であり、殊に憲法および租税法令の解釈において、旧国家観から脱却していない国家権力側からの解釈であり、主権在民の原理に立脚する国民側からの解釈としては妥当なものとして到底承服することができないのである。

(一〇) なお若しも前記最高裁判所の見解の如く、重加算税と刑罰たる罰金の併科が憲法第三九条後段に違反しないとするならば、課税要件事実の「隠ぺい・仮装」という不正行為に対する倫理的非難の意味を有し、実質的に刑事処罰である罰金と同一もしくは酷似する重加算税を、租税徴収という行政手続で科することを認めた国税通則法第三一条および三二条ならびに一三条の真精神に反するものである、と言わなければならないのであり、その不当なることは多言を要しないところである。

第五点 原判決は量刑不当の違法があり、該違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄されるべきである。

一、 仮りに前記第一点乃至第四点の主張が認められないとしても、原判決が、被告会社に対し罰金一、〇〇〇万円、相被告人政岡に対し、懲役八月(但し四年間執行猶予)および罰金五〇〇万円を科したことは、量刑が著しく不当で苛酷であるから、破棄されるべきである。

二、 その理由は以下に述べる通りである。

(一) 前記第一点乃至第四点における各主張は仮りにその主張が認められなかつたと仮定しても、それらは、何れも原判決の量刑が著しく不当であるとする重要なる事由に該当するものであるから、茲に引用して、重複を避けるものであるが、念のため、特に留意すべきであると思料される点を左に述べることにする。

(1) 仮りに、相被告人政岡に本件法人税逋脱の故意が認定されたと仮定しても、それは決して悪質なものではなく、重加算税の賦課だけで償われ得べき程度のものであると思料されるのである。然るに本件が租税庁により告発され、起訴され、原判決のように苛酷と思料される処断が行われるに至つたのは、恐らくは、被告会社および、相被告人政岡が昭和三七年度の法人税の確定申告に付き、法人税逋脱の容疑により起訴され(昭和四一年二月一六日)、刑事裁判を受けていたこと、およびこれについての差戻裁判により、昭和四八年一二月三日、被告会社に対し罰金六〇〇万円、相被告人政岡に対し罰金一〇〇万円の刑が言渡され、それが確定し、被告らが、いわゆる脱税犯の前科があることが考慮されているものと思料されるのであるが、右前の刑事裁判においても、本件と同様、被告らは、逋脱があつたとされる所得は被告会社の所得ではなく、相被告人政岡個人の所得であるという点が争われたのであり、被告らは、相被告人政岡個人の取引による所得であつて、被告会社の法人税確定申告を行つたのであるが、この点について、右前の刑事裁判において、相被告人政岡個人の所得ではなく、被告会社の所得であると認められた(もつとも右刑事裁判において、利息制限法の制限超過部分についての未収利息は所得に算入すべきではないという被告らの主張は上告審で認められた)のであるけれども、これを以つて、法人税法第一五九条にいわゆる「偽りその他不正行為」に該当し、且つ相被告人政岡にその故意があつたと認められたことは酷であつたと思料されるのであるが、本件判示第一および第二の各法人税確定申告は、右前の刑事裁判の第一審判決(昭和四三年一一月三〇日)以前に行われたものであり、当時、既に昭和三七年度の法人税確定申告に付き起訴はされていたけれども、被告らとしては、被告会社の取引と、相被告人政岡個人とを区別して行つていたことが真実であり、且つ右前の刑事裁判において逋脱があつたとされている所得は、被告会社の所得ではなく、相被告人政岡個人の所得であると認定されるべきものであると確信していたのであるから、本件の各法人税確定申告に付き、原審が法人税法第一五九条にいわゆる「偽りその他不正行為」に該当し、且つ相被告人政岡にその故意があると認定したことは酷であると思料されるのみならず、右前の刑事裁判の判決言渡後の行為ではないのであるから、特にこれを重く処罰することは妥当でないと思料されるのである(原審における相被告人政岡の供述=一六五六―七丁、および被告らの昭和四六年五月二四日付、公訴事実に対する認否書参照)。

(2) 相被告人政岡は、被告会社の代表取締役として、被告会社の本件各法人税確定申告後、昭和四三年一二月一〇日頃までの間に、所轄の日本橋税務署に対し、右各申告もれの分を上申書を提出して申告した。右は昭和四三年九月頃から日本橋税務署の特別調査班の係官から、右各確定申告について、「申告洩れがある」「査察に廻すぞ」などといわれたので、被告らは前回(昭和三八年一一月二一日)査察を受け、刑事裁判に附されて苦労をしたので、またそのようなことになつては得策ではないと考え、相被告人政岡個人の所得のうち或は、被告会社の所得ではないかとの疑を持たれるかも知れないと思われる分は、すべてこれを、被告会社の申告洩れ所得として、上申書を作成して日本橋税務署に提出したものであるが、協力預金謝礼金収入(原審判示別紙第一の〈3〉、同第二の〈3〉)および預金利息(原審判示別紙第一の〈4〉、同第二の〈4〉)は、何れの点から見ても、相被告人政岡個人の所得に帰属するものであることが明白であるから、右上申書に記載しなかつたのである。そうして、日本橋税務署ではこれを諒とし、昭和四四年一月二〇日にはこれに基いて更正決定がなされることになつていたのであるのに、昭和四四年一月一七日に急に査察が行われるようになつたのである。右上申書は前記のような事情により作成提出されたものであり、且つ修正申告書という名称を附していないが実質的には、修正申告を行うと同質のものである。この点も亦、本件量刑上、考慮されなければならないものであると思料されるのである(原審における、相被告人政岡の供述一六五九―一六六〇丁、および昭和四七年二月付、被告らの陳述書参照)。

(3) 昭和四五年三月三一日、所轄税務署は(当時、被告会社は中央区銀座六-三-一〇に本店移転)、被告会社の昭和四一年度および昭和四二年度の各法人税確定申告(原審判示第一および第二)に付き更正決定を行い、前者に付き過少申告加算税七三万四、五〇〇円および重加算税六〇五万〇七〇〇円を、後者に付き過少申告加算税一万二、九〇〇円および重加算税七九二万九、九〇〇円を各賦課したのである。然るに原審は前記の通り更にこれに加ふるに、被告会社に対し罰金一、〇〇〇万円を、また、被告人政岡に対し罰金五〇〇万円および懲役八月(但し執行猶予四年)を科刑したのであるから、原審の量刑はまことに苛酷であるといわなければならないのである。蓋し、前記の通り、重加算税は実質的には罰金であり、本件については前記の通り、既に実質的な罰金として、合計一、三九八万〇、六〇〇円が賦課されているのである。また本件は前記の通り、相被告人政岡個人の所得が、被告会社の所得として認定されたものであり、査察が行われる以前に実質的な修正申告をしているのであるから、悪質な脱税犯と見ることは苛酷であると思料されるからである。

(二) 被告会社は、相被告人政岡が高令で永く病気療養中であること、および貸金業は貸金が回収されなくとも、未収利息に課税され、採算がとれないため、昭和四九年六月二九日解散し、同年七月二三日その登記を経由し、現在清算中であるから、被告会社は今後再び法入税の逋脱を犯す心配は全くなく、また、相被告人政岡も高令であるうえに、永く病気療養中であり、余生を安楽に過ごすことにしているのであるから、これ亦た、再犯の懸念は全くない。而して前回の裁判によつて確定した、被告会社の罰金六〇〇万円は、相被告人政岡が道義的責任上、立替えて支払つているのであり、この点も亦、相被告人政岡に対する量刑上、考慮されなければならないものであると思料されるのである(原審における相被告人政岡の供述一六八一-一六八二丁、一七四七-一七四八丁参照)。

(三) 相被告人政岡は、明治三一年七月一〇日生れであるが、一九才で北海道に渡り材木業者の下に勤め、大正八年に、独立して材木業を開業し、昭和一三年まで約二〇年間に相当な資産を作つたのであるが、同年大阪へ移転し、奈良、三重、岡山、鳥取、広島などに亘つて、手広く材木業を営み、巨額の富を築き(終戦時五〇〇万円の定期預金、現在の約五〇億円位)、陸軍省にも協力し、二回も表彰を受けたが、昭和二〇年空襲のため片脚をとられて以来、山林を見廻ることが出来なくなつたので、次第に材木業をやめて上京し、従来蓄積した多額資金を基にして、金融業と不動産業を始めることにし、個人として昭和三一年一月二七日付で、貸金業の届出を東京都知事に提出して貸金業を営み、また昭和三四年二月頃、浦和土地開発株式会社を設立して不動産業を営むようになつたのである。昭和三五年一月一九日、相被告人政岡個人の貸金業とは別個に、相被告人政岡の二男である政岡武が代表取締役となつて被告会社を設立し、貸金業を営んでいたが、同年六月一五日、政岡武が死亡したので、その後は相被告人政岡が、被告会社の代表取締役に就任したが、被告会社とは別個に、相被告人政岡個人としての貸金業を継続していたものであることは前記の通りである。

ところで、相被告人政岡は前記の通り陸軍省から二度も表彰されたほか、その郷里である愛媛県周桑郡三芳町の社会・教育・文化・産業の振興のために貢献していたので、これらの功績者を顕彰する目的で同町に昭和四一年五月、名誉町民条例が制定されるや、相被告人政岡は同町名誉町民の第一号に推されたのみならず、相被告人政岡は昭和三九年および昭和四〇年の二度に亘り、同人の母校である同町庄内小学校に、プール建設および美術室の建設資金として一〇〇万円を、更に昭和四一年には同町に教育育英資金として五〇〇万円を寄附し、同町に財団法人政岡育英会を発足せしめる等、郷里の教育・文化などの発展向上のために貢献し、再三に亘つて表彰されている者である。このように教育・文化事業に深い関心と理解をもつていた、相被告人政岡は、たまたま、学校法人富士見丘学園(女子短大)の小野正実、小野ちえらに懇請されて融資をしていた関係で、同学園が資金的に行詰りを生じ、教授の授業放棄等学園に騒動が起り、学園閉鎖寸前に立ち到るや、小野ら学園の理事、評議員らは辞表を提出して、相被告人政岡に学園の経営を一任し、相被告人政岡は、教授・生徒の父兄・全債権者らの要望により、最後の社会奉仕を決意して同学園の理事長に就任し、自己の債権を棚上げにし、他の債権者との解決、新なる資金の支出、文部省に対する陳情、生徒の募集等、学園の正常化に寝食を忘れて献身的努力をなし、学園の再建が漸く軌道に乗るや、小野一派の裏切りによる無法なる策謀により理事長を追われるようになり、学園は再び閉鎖され、実質上廃校となり、再建の見込みは全く立たなくなつてしまつたので、相被告人政岡としても、止むを得ず、自己の債権の回収を計らざるを得なくなつたことは、相被告人政岡の深く遺憾とするところであるが、学校法人富士見丘学園は前記理由により、実効を挙げ得なかつたので、別問題としても、前記の通り、相被告人政岡が社会のために貢献している事実は、本件量刑の上に大いに考慮されなければならないものであると思料されるのである。(原審における、相被告人政岡の供述、一六五七―一六五八丁、一六七七―一六七八丁参照)(なお、相被告人政岡の前記名誉町民、母校に対する寄附・財団法人政岡育英会などについての証拠は、別件の差戻裁判の記録に明らかであり、原審裁判官は差戻し裁判の裁判官に加つて居られたので原審において提出しなかつたが、控訴審で提出する)。

(注) 被告人政岡彌三郎の関係の控訴趣意は省略。

以上

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